ガリ。ガリ。
私の歯と歯にすり潰されて、かわいそうな私の爪は歪な音を立てる。
ガリ。ガリ、カリ。
それでも私は爪を噛むのをやめられない。
カリ。ガリ。ジュルリ。
…噛んで、噛みちぎって血が出ても。
カッ。カリカリッ。ガリ。
やがて噛めなくなるまでそれは続く。
噛めなくなった事を知れば、別の爪を捜して唇に指先を押し付けた。
今私の右手の親指と人差し指と中指の爪はぎざぎざに噛みちぎられて、
今噛んでいる左手の中指の爪からは血がにじんでいる。
奇異なものを見るかのように私を遠巻きに見る視線を感じる。
贅沢は言えない。ここは女性下士官の詰め所。私のプライベートエリアなんて贅沢なものは無い。もともとあった隊舎はノア・ストーンの暴走時に石壁が崩壊寸前となりそのまま閉鎖された。
私はだだ広いこの仮設の詰め所に、無造作に置かれた椅子に腰をかけ、ただぼんやりと虚空を眺めながら爪を齧っていた。
昨日、あの戦闘。
私が負ける要素は全くなかった筈だ。
最初、坑道に逃げ込み誘っていたとき。
相手は道をしらなかった。もっと全力で逃げて撒けばよかった。そうすれば狭く、相手が分からない坑道で、私はどこからでも不意打ちが出来たはずだ。
仮にあの作戦のまま、坑道の外が見えるあの一本道に誘い出したとしても、、、
まず中に攻撃系の魔法を打ち込む。
それでも広い場所に逃げようと相手は此方に向かってくるだろう。
それを"ミツクニ オーダー" 後退させる魔法で押し返す。
更に其の間に毒の魔法を使っておく。"オーブン"の魔法でもいい。
相手は"サムライ"だ。包帯を扱える事は分かっていた。
包帯は癒しの力を吐き出して塵に還るけれど、弱点がある。連続してダメージをくらい続けると、いやしの力が発動しきる前に崩壊してしまう。
毒で包帯を封じて、もし相手が此方に向かってくれば、私は離れて魔法を撃つ。
更に剣で止めを刺したければ、"コーリング"の魔法で引き寄せて刺せばいい。
もし相手が坑道の中に逃げ込んでも同じ事。
むしろ、相手の行動が制限される分、其方のほうが遥かに楽。
私は相手に止めを刺し、それで、ジ・エンド。其のはずだ。
今シミュレーションをしてみても、私が負ける要素は欠片も、ない。
けれど、負けた。
私は、負けた。
―――原因は。分かっている。はっきりと。
それでも、認めたく、ない――――。
―――分かってる。分かってるわ。
"冷静じゃなかった"
怒りで我を忘れていた。
ギルバートを馬鹿呼ばわりしたのは許せなかった。
でも、―――実際に、あれは事実だった。
"負けるはずがない"
慢心、していた。
トイレに行ってからなんて。
ふざけた事言う奴に負けるわけなんか無いと想ってた。
でも、それは慢心していい理由にならない。
その結果当然のように負けたのだ。鼻で笑われても仕方がない。
中指の爪が齧れなくなった。
其の隣の薬指の爪を咥える。
悔しい。悔しい。
全身に悔しさが巡る―――。
あの銀色の女にやられた事が悔しくてたまらない。
当然だ。敵国の敵兵なのだから。
けれどもう一方で。
ラル・ファクの愛で本当に救わねばならないのは、彼女のような気がしていた。
ラル・ファクの愛を、理解できない彼女。
ラル・ファクの愛が、世界を包む。それをただの侵略戦争、と。
「ただの侵略戦争、か。」
胸の中にもやもやとしたものが生まれる。
そう、そうだ。
神の愛を信じられない。
それは神の愛を感じられない、と言う事。
それはとても"不幸"なことだ。
彼女は敵兵。そして異教徒。
けれど、、いや、だから、かもしれない。
彼女こそラル・ファクの愛で"救わねば"ならないと感じる。
今まで滅ぼすことしか考えなかった私にとって初めての経験だった。
イルミナ様やミスト様の御考えが、今なら分かる気がする。
私は今まで"あの暗闇"から抜け出せずにいたのかもしれない。
初めて外に出たような新鮮な気持ち。それから。
いまだ消えぬ、もやもや。
きっと、彼女を、ラルファクの愛で救いさえすれば―――。
きっと晴れる。
そうに、違いない―――。
ガリ、、、ガリ、、、。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
空に煌々と輝く月が見える。
ぼんやり。
私の目は虚空を泳ぐ。
考えてるのは昨日のこと。
ガリガリ。頭を掻く。
結局昨日、勝ったのって運要素だよねえ・・・。
相手が冷静ならおそらく魔法をうまく使って私に剣でトドメを刺すことも出来ただろう。
ガリ、ガリ。
一番期待してなかった相手の慢心か怒り。その要素で勝っただけだ。
次はこうはいかないだろうなあ。
もっと精進しないと・・・・。
ガリ、ガリ。
それと―――気になっていること。
迷いながらタルタロッサ・パレスを目指して居た時。
私は、見たような気がする。
ガリ、ガリ。
あれは隊長だった。多分―――。
隠れるようにこそこそと、誰かと一緒だった。
暗くてはっきりとは見えなかった・・・。だから。
似たような背格好の人は大勢居るだろうから見間違えたといわれれば其れまでだけれど・・・
"スパイ"
其の一言が私の頭に浮かぶ。
まさか、隊長に限って・・・ありえない。
ガリ、ガリ。
・・・・・・・・・・・。
っだあああああ!!頭がかゆいっ!!
此処のところまともに水浴びすら出来ない状況。
なんとか疑いを引っ込めて貰ってエルガディンに戻ってきたものの、私を良く想わない目は多く、むやみやたらと出歩かないことにしている。
おまけに未だに監視はきえていない。疑いを引っ込めて貰う条件がそれだからだ。
いい加減ストレスが溜まってくる。
・・・貯水池、いって桶に一杯水貰ってくるかあ・・・。
せめて髪の毛だけでも水で流そう。体はぬらしたタオルで拭けばいい。
貯水池は地下まで続く巨大井戸。エルガディン王国は乾いた気候のため、この貯水池は生活の要になっている。まあ、地下の奥深くには豊かな水脈があるようで、水そのものには困ってはいないけれど、此処は重要なポイントだ。
ヴァイトという男が見張りをし、貯水地に通じる路地は屈強なガード達が警護している。
ガードのクリストフとは仲がいいからいいけど、、、私は正直、このヴァイトという男が苦手だ。
慇懃無礼だし気色の悪い笑い方をするし・・・。
ううっ・・・桶いっぱいだけ水貰って帰るだけだし。考えない考えない。
クリストフに挨拶をして貯水池の中に入れてもらう。
水があるからか、空気がひんやりとつめたくなった
「おや、SilverNoteさんではありませんか。」
貯水池に着くと、張り付いたような笑みを浮かべた男が出迎える。
ヴァイトだ。私は愛想笑いを浮かべた。
「桶に水を一杯貰いたいんだけれど・・・。」
「ええかまいませんよ。どうぞ遠慮なくお持ちになってください。」
ニコニコと張り付く笑みを浮かべてヴァイトが言う。
お前のじゃないだろ。心の中だけでツッコミを入れる。
桶に水を汲むためにしゃがむと、用もないのにヴァイトはべらべらとしゃべりかけてくる。
「いやあ、この度は大変でしたね。いや、実に大変でした。貴方がスパイだなんてことがあろうはずもないのに!いやあ、本当にお疲れ様でした。」
ウザぃ・・・
手桶で大桶にじゃぶじゃぶと水を汲む時間がもどかしい。
早くこの男の前から立ち去りたい。
「そうそう。SilverNoteさん。"亡命"って知ってますか?」
「はぁ・・・?」
われながらなんとも間抜けな声を出してしまった。
亡命?なんだ、そりゃ。
「亡命、ですよ。あくまでも、噂。仮定でお話しますが・・・。Newbie以上なら、、、5000jade、もあれば敵国に亡命を手引きする"亡命斡旋屋"に頼んで亡命をすることが出来るらしいんですよねえ・・・。」
にやり、にやにやと気持ちの悪い笑い―――
まさか―――
「まさかアンタ・・・・」
「おおっと、誤解なさらないでくださいね?私は別に亡命を手引きしているわけではありませんよ・・・・?まあ、5000jadeもあればそんな輩も出てくるかもしれませんから、話はわかりませんが、ね?」
5000jade・・・。warlordの給料ほどの金額―――。
それが、あれば、亡命が出来る、とコイツは暗に言ってる訳だ。
私は――――
ヴァイトの胸倉をつかんで壁にがん!と押し付ける!
「この―――恥知らず!!!今のはエルガディンを裏切る発言ととっていいの?!ミクル様の前で今と同じことが言えるって言うの?!」
「ガハッ―――そう、熱くならないでくださいよ!!タダの噂、仮の話って言ったじゃないですか!」
「ふざけんな!?5000jadeなんて具体的な数字を出してよくもそんな事が―――!ミクル様の前にお前の首を突き出してやる!!」
私は腰の刀に手を伸ばし―――
「しょ・・・証拠は!!!証拠なんてどこにもないじゃないですか!!そんな常態で私の首を差し出してごらんなさい!あなたが反逆罪でつかまり、永久にプリズン・マインから抜け出せなくなりますよ?!」
その、手をとめた。
悔しいけど、コイツの言うとおりだ。
私だって、プリズン・マイン―――強制労働の牢獄で一生を終えるなんて、嫌だ。
チッ―――舌打ち一つして、私はヴァイトの胸倉から手を離した。
「此処まで熱くなる方がいるとは―――正直思いませんでしたよっ・・・。まったく・・・。」
服をただし、呼吸を整えながら、ヴァイトは私をにらみつけた。
「すぐ熱くなる馬鹿でごめんなさいねえ?」
つっけんどんにぶっきら棒に棒読みで言ってやる。
うわべだけの謝罪ってのは相手にも伝わったようだ。
ふん、と鼻をならして、ヴァイトは続けた。
「まあ、エルガディンにはともかく、ビスクにそういう"斡旋屋"がいるのだけは事実ですね!だからそれに関してこちらにもそんなのがあるって噂が流れてますよ、って言っただけ、それだけじゃないですか!この話はお互いもう忘れましょう。お水は汲んだでしょう?さあさあ。どうぞお帰りくださいな。」
言われなくてもそうするわ!そう言おうとした。
けれど、、、引っ掛かった。
「ビスクに"斡旋屋"がいるのが事実・・・?」
呆けた顔で私が聞くと、ヴァイトはにやにや笑いを取り戻した。
「おや、、、おやおや!知らなかったんですか!?貴方がたの隊長の事なのに!」
「え―――?」
「タウルス隊長!彼は、ビスクからの亡命者、なんですよ・・・?それをまさか、隊の人が知らないとは!!こりゃあ傑作だ!!きっと後ろめたいんじゃないんですか・・・?」
隊長が、隊長が―――?
「そんなこと、あるわけないッ!!!!!」
「否定しても、事実はかわりませんよ。ご本人にでも聞いてみたらどうですか?」
ヴァイトは、煩そうにそう言った。
ふぅやれやれ、などと言いながらもと居た場所に腰をおちつけている。
けれど私には、それがとても遠い事に感じられていた。
―――隊長が・・・。
まさか―――
さっきありえない、と否定した"スパイ"の、3文字が。
私の中でゆっくりと、首をもたげはじめた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「なんだ―――ありゃ・・・・。」
ビスク西、見張り塔。
見張り当番であった男は、黒くうねる群れをみつけた。
風のざわめきで、森がうねっただけかと想った。けれど・・・。
ビスク西眼下、ミーリム海岸に森などない。
では何がうねって列を成し連なって、大軍で押し寄せてきているのか?
(ありえない。ありえない。ありえない!!!!!)
見張りの男の頭を埋め尽くすのは、"ありえない"たったその5文字。
けれど―――。
眼下にひろがるその黒いうねりは、確かに人の群れだった。
ビスクの兵より遥かに多い人が、このビスクに押し寄せていた。
(エルガディンにこんな兵力はないはずだ!!
なのにも関わらず、なんであいつらエルガディンの鎧を着てるんだよ・・・?!)
はっ!と男は気づき、傍にあった紐をぐい、と引っ張った。
どぅがらん、がらんがらんがらん―――
ビスク中に、音が響き渡る。
「敵襲ぅうううう!!!!!」
男は、叫んだ。
目の前の光景がただの夢で、寝ぼけて紐を引っ張った自分が咎められる、そんなオチならどんなにいいんだろう。そう思えるほど眼下の光景は、脅威に満ちていた。
城門が破られる。わらわらとエルガディン兵はビスク内部に押し寄せてきた。
まるで決壊した川の土手から水が氾濫するかのように―――。
その時―――!
まばゆい光が煌き、どん!という音が響く!
光とともに大群の目の前に、人影が現れた。
わらわらと進軍してきた大群は、そこで足を止める。
ビスク西、元ジオベイ闘技場前のビスク入り口。
坂になったところに、エルガディン兵が詰まる形になった。
頭に王冠が煌き、手に杖を持った人影―――。
見張り台の男は、ぽつり、呟く。
「イルミナ、様・・・?」
女王イルミナは、杖を掲げ、大群に突きつけてこう言った。
「下がりなさい!此処はお前達が来るところではありませんよ!神聖なるラル・ファクの都、ビスクを汚すことは、このイルミナが許しません!!」
そう、叫んだ女王イルミナの姿は―――透けている。
それはイルミナ本体ではなく、幻影だった。
「幻影ごときが、われわれを止められるとでも?」
そう言って、大群の先頭に立つ男はイルミナの幻影に手を伸ばす。
すると―――
「な―。」
ざぁぁぁ・・・・ごとん。
手を伸ばした男は短い断末魔をあげ、指先から塵になって、消えた。
「例え幻影であろうとも、お前達如き輩がこのイルミナに触れる事は叶わないと知りなさい。」
そう言い放ち、イルミナは、一歩前進する。
ざ―――。
巨大なうねりが、動揺をしたかのように少し下がった。
まるで、イルミナの前巨大な壁があるかのように―――じわり、じわりと。。
「戻り、貴方達の主に伝えなさい。"時は満ちた!この女王イルミナ、貴方がたの挑戦を受け取りましょう"と!」
凛、とした声が響き渡る―――。
「了解した――――。」
苦々しい声がそれに応え、大群はまたもと来た方へうねり去ってゆく・・・。
―――それは、とても短い間に起きた出来事で。
「なんだったんだ、、、今の。」
見張り台の男は自分が夢を見ていたのではないか、と想ったが・・・・
つねるほほの痛みが、現実を教えてくれるだけだった。
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